安楽寺だより第5号(親鸞聖人のご生涯①)

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親鸞聖人の波乱に満ちたご生涯を辿る連載、第1回目をお届けします。

現代の私たちも先行きの見えない不安の中にいますが、800年前、一人の青年僧もまた「どうすれば本当の救いにあえるのか」と、命を懸けて自分自身を見つめていました。


【親鸞聖人のご生涯①】道を求めて:「この私一人救われない」

1. 激動の時代に生まれて

親鸞聖人がお生まれになったのは、今から800年余り前の1173年(承安3年)。平安時代の終わり、まさに歴史の転換点でした。

当時の社会は、現代の私たちが想像する以上に過酷なものでした。

  • 武士の台頭: 貴族政治が崩壊し、源平合戦などの戦乱が絶えない。
  • 相次ぐ災厄: 飢饉や疫病が蔓延し、京の都には死者があふれる。
  • 社会の不安: 「末法(まっぽう)」という、仏教の教えが届かない暗い時代が来たと人々は怯えていた。

そんな「明日をも知れぬ日々」の中で、聖人はわずか9歳で出家し、仏道へと足を踏み入れられました。


2. 比叡山での20年:厳格なる「三学」の修行

9歳で山に登った聖人は、29歳で山を下りるまで、日本仏教の母山である比叡山延暦寺で厳しい修行に励まれました。

比叡山での修行の基本は、「戒・定・慧(かい・じょう・え)」の三学といわれるものです。

修行の項目意味内容
戒(かい)戒め仏道を歩む者としての生活規範・ルールを守ること
定(じょう)定める心の乱れを抑え、精神を静かに集中させること
慧(え)智慧真理を悟り、迷いの根本を断ち切ること

聖人は、阿弥陀仏の名を唱えながら仏の周りを歩き続ける過酷な修行を行う「常行三昧堂(じょうぎょうざんまいどう)」堂僧(どうそう)を務めていたと伝えられています。一途に、そして誠実に、悟りへの階段を一段ずつ登ろうと努力されていたのです。


3. 深まる苦悩:「すべての人」の中に「私」が入らない

しかし、修行に励めば励むほど、聖人の心にはある「矛盾」が大きく膨らんでいきました。

「大乗仏教は『すべての人を救う』と説く。しかし、この私一人がどうしても救われない……」

聖人が直視したのは、どれほど修行を重ねても、煩悩(欲や怒り、愚痴)に振り回されてしまう自分自身の姿でした。「三学」を徹底しようとすればするほど、それができない自分に突き当たる。

「立派な僧侶」として振る舞うことと、心の中にある「救われない孤独」のギャップ。

聖人にとって比叡山での20年は、エリート僧侶への道ではなく、「自分という人間がどうしようもなく救いがたい存在である」という事実を突きつけられる歳月でもあったのです。

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