安楽寺だより第8号(親鸞聖人のご生涯③)

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親鸞聖人の90年のご生涯をたどるシリーズ第3回

聖徳太子の夢のお告げに導かれ、ついに生涯の師となる法然上人(ほうねんしょうにん)との運命的な出会いを果たします。

今回は、聖人の仏教観が180度転換した、人生最大のクライマックスについてまとめました。


【親鸞聖人のご生涯③】法然上人との出会い。「雑行」を捨てて「本願」へ

聖徳太子からいただいた「夢のお告げ」に背中を押された親鸞聖人(当時29歳)。

「すべての人が救われていく仏教」を求めて、ついに法然上人のもとを訪ねられます。

智慧第一の法然上人が説いた「愚者」の道

当時、法然上人は京都・東山の吉水(よしみず)の草庵にお住まいでした。

すでに69歳というご高齢でしたが、その草庵には、身分や職業を問わず、教えを求める人々が溢れかえっていたといいます。

法然上人は、比叡山で「智慧第一(ちえだいいち)の法然坊」と称えられたほどの秀才でした。しかし、上人が吉水で人々に説いていたのは、難しい理論ではありませんでした。

「愚者(ぐしゃ)になりなさい」

「愚かな自己に目覚めることによってこそ、救いを得ていくのです」

出家も在家も、善人も悪人も関係ない。

万人に開かれたその教えは、従来の仏教が切り捨ててきた人々を優しく包み込むものでした。

吉水へ通うこと百日

聖人は、この吉水の草庵へ百日間通い詰めました。

そして、法然上人の言葉に魂を揺さぶられます。

「煩悩を断ち切ることができない自分への目覚めこそが、実は仏教に近づく確かな道である」

比叡山での20年間、「煩悩を消さなければ救われない」と苦しみ抜いた聖人にとって、それは天と地が、実は回っているのが逆であったとする「コペルニクス的転回」とも言える衝撃でした。

「煩悩を抱えたままでいい。その愚かな私が、阿弥陀様の本願によって救われていくのだ」と。

雑行(ぞうぎょう)を棄てて、本願に帰す

ついに聖人は、自らの仏道を大きく転換させる決意を固めます。

主著『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』には、その時の決断が高らかに記されています。

「しかるに愚禿(ぐとく)の釈(しゃく)の鸞(らん)、建仁辛(かのと)の酉(とり)の歴(れき)、雑行(ぞうぎょう)を棄てて本願に帰す」

(そこで、愚かなる親鸞は、建仁元年(1201年)、自力の修行[雑行]を捨てて、阿弥陀仏の救いの約束[本願]にお任せすることにした)

自らの力でさとりを開こうとする「自力」の道(雑行)を捨て、阿弥陀様にお任せする「他力」の道(本願)へ。

親鸞聖人は、師・法然上人との出会いによって「愚者としての自己」に目覚め、ついに本当に開かれた大乗の仏教(すべての人が乗れる大きな乗り物)に出会うことができたのです。

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