親鸞聖人が大切にされた善導大師の物語、「二河白道のたとえ」シリーズ第9回。
前回は、東の岸(こちらの世界)から背中を押すお釈迦様の声について触れました。今回は、対岸である西の岸(お浄土)から聞こえてくる、もう一つの声に焦点を当てます。
それは、悲しみの中にいる私たちを呼び覚ます、慈愛に満ちた阿弥陀様の呼び声でした。
西の岸からの呼び声「弥陀の召喚」
東の岸から「行きなさい」とお釈迦様に励まされた旅人の耳に、今度は西の岸から力強い声が届きます。
「汝(なんじ)、一心に正念(しょうねん)して直(ただ)ちに来れ」
「西岸のうえの人」とは、阿弥陀如来のことです。
ここで言う「一心に正念して」とは、単に「集中して」という意味ではありません。
それまで「自分の思い(我)」を頼りに生きてきた旅人が、その限界と愚かさに気づき、「阿弥陀様が選び取ってくださった本願の念仏(正念)を信じて生きていく身(一心)」に変わることを願われているのです。
これを「弥陀の召喚(みだのしょうかん:阿弥陀様からの招き)」と言います。
難度海を渡す「大船」
私たちは人生で、自分の煩悩の重さに直面し、どう生きればよいか分からず(無明)、出口のない迷路をさまようことがあります。自力でなんとかしようとしても、もがくほど深みにはまっていく……。
そんな私たちに対し、阿弥陀様は大いなる慈悲の心(大悲)で呼びかけられます。
親鸞聖人は主著『教行信証』の冒頭で、この阿弥陀様の誓願(約束)を次のように讃えられています。
「阿弥陀様の誓願は、渡りにくい海を渡す大船であり、無明の闇を破る恵みの太陽(恵日)である」
自分では泳ぎきれない海も、大きな船に乗せてもらえば渡ることができます。阿弥陀様の呼び声を聞く(聞法する)とは、この大船に身を委ね、安心の境地へと運ばれていくことなのです。
母のように悲しみに寄り添う
阿弥陀様の呼びかけは続きます。
「我よく汝を護(まも)らん、すべて水火の難に堕(だ)せんことを畏(おそ)れざれ」
(私が必ずあなたを護るから、水や火の河に落ちることを恐れずに来なさい)
「あなたを護る」という言葉。
これはまるで、高熱を出して苦しむ我が子を、「私がついているから大丈夫よ」と必死に抱きしめ、救おうとする母親のような姿です。
阿弥陀様は、高みから見下ろしているのではなく、人間の深い悲しみや孤独に寄り添い、共に歩もうとされています。
この声に呼び覚まされた時、私たちの前には、どんな災難の中にあっても崩れることのない「ひとすじの白道」が浮かび上がります。
新しい「私」の誕生
阿弥陀様の「直ちに来れ」という声に従い、白道を歩み始めること。
それは、死んでからお浄土へ行くだけの話ではありません。今、この人生において、「仏様の願いに生かされている新しい私」が誕生することを意味しています。
いかなる苦難があろうとも、護られている安心感の中で、人生を丁寧に、一歩一歩大切に歩んでいく。
それこそが、白道を歩む者の姿なのです。



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