南無阿弥陀仏の南無とは③

浄土真宗大谷派

南無の意味する「帰依(きえ)」とは、前々号の記事で「おまかせする」の意味があると書きましたが、一般の生活の中ではまったく聞きなれない言葉です。
「おまかせする」とは、何をどこまでお任せすることなのでしょう?

「何かは分からないが、みんなが手をあわせて拝んでいるのでから、自分も同じように手をあわせてお布施すれば、何かきっと良いことがあるはずだ!」

「鰯(いわし)の頭も信心から」という言葉があるように、信仰対象の価値がまったく分からなくても、仕事も辞め、家族を捨て、全財産なげうってでも「おまかせする」ことが、「帰依する」と言うのでしょうか?

私は以前にインドからやって来たエンジニアにパソコンの修理を教えたことがあります。
インドでは故障したパソコンの基盤を水洗いし扇風機で乾燥させて直すそうです。
お目にかかった初日に、両手をあわせ「ナマステー」と挨拶したのですが、2日目にも同じように挨拶すると、「ナマステーは2回は言わないですよ!」と教えられました。
「では、2回目は何と言えば良いのですか?」と私が尋ねると、「ハローですよ!」と言われました。

ナマステーは

ナマス = 南無 = 帰依する
テー = あなたに

を組み合わせた言葉で、初対面やお世話になっている親戚など久々に会うときに使うそうですが、ナマスの意味は日本語で表現するのは難しく、思わず肩と腰を低く落とし頭を深々と下げ「大変お世話になっております。言葉では尽くせぬほどありがたく感謝いたします」みたいな感じでしょうか。
次の日にも使うセリフではありませんが、こうした思いが南無には含まれており、インドの方々は今でも日常で使われている有難い言葉になります。

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