先月3月20日に開催された「二十二組同朋大会(どうぼうたいかい)」の様子と、心に響くご講演の内容をご報告します。
3年ぶりの開催となった今回の大会。
「不安」という感情をどう受け止め、どう生きていくのか。現代を生きる私たちにとって、深く考えさせられるテーマでした。
【報告】逃げずに、向き合う。「不安に立つ」―22組同朋大会―
先月3月20日、「二十二組同朋大会」が開催されました。
一昨年、昨年と続いた「宗祖親鸞聖人750回御遠忌法要(お待ち受け・正当)」の大事業を経て、今回は3年ぶりの開催となりました。
当日は、22組の各寺院、そしてご門徒の皆様、合わせて200名ほどのご参加があり、久々の再会を喜ぶ活気ある大会となりました。
テーマは「不安に立つ」
記念講演の講師には、名古屋教務所教導の竹原了珠先生をお迎えしました。
(竹原先生には、安楽寺でも昨年9月の永代経にてご法話をいただいております)
講演の題目は、「不安に立つ はからいの彼方へ」。
実は名古屋教区では、5年前からこの「不安に立つ」というテーマを掲げて教化施策を進めてきました。当初は様々な意見があったそうですが、昨年の東日本大震災という未曽有の出来事を経て、竹原先生は「今日(こんにち)にぴったりのテーマだと思います」と語り始められました。
「お身明かし」―願い事ではなく、自分を見つめる眼
竹原先生は、ご自身の出身地である石川県(北陸)に残る、真宗の風土について紹介されました。
「皆様はお賽銭を出す時、何か願い事をするのが一般的かと思います。しかし北陸では、お灯明を上げることを『お身明かし(おみあかし)』と言います。これは、み教えをいただいて、自分の心を見つめる眼(まなこ)をいただくという意味です。近所の方と『おみあかししてもらったか?』と挨拶代わりに言葉を交わすのです」
お賽銭は「願いを叶えてもらうため」のものではなく、「自分自身の姿を明らかにする光をいただくため」のもの。ハッとさせられるお話でした。
「鬼は外」で、不安は消えるのか?
続けて先生は、ご自身の幼少期や会社員時代の体験を交え、私たちが抱える「不安」の正体について触れられました。
幼い頃に見た嫁姑の確執、大学やIT企業での生活……。
「勉強や仕事で、周りの期待に応えられないのではないか」という不安は、誰もが経験することです。
「節分で『鬼は外』と言いますが、私たちは不安なことが起こると、それを『身にそわないもの』として、どこかへ行ってほしいと考えます」
しかし、追い払おうとすればするほど、期待通りにできない自分に苦しみ、迷いは深まるばかりです。
全てを受け止める場所へ
では、どうすればよいのでしょうか。先生はこう仰いました。
「不安な心を避けるのではなく、人間の思いのすべてが摂(おさ)めとられている教えに出遭っていくことです。自分のすべてを受け止め、ほんとうに帰るべき場所を求めて教えを聞き、学んでいくこと。それが『不安に立つ』ことなのです」
不安を消そうとするのではなく、不安を抱えたままの私が、阿弥陀様の大きな教えの中に包まれていると気づくこと。それが「聞法(もんぽう)」の意義なのです。
被災地の声を聞く
最後に、福島原発事故の被災地の方々の言葉が紹介されました。
故郷を奪われ、仕事をなくし、家族が離れ離れになるという極限の不安の中にいる方々。
先生は、「こうした方々の声を、『不安と私自身へのうながし』として受け止めることが大切なのです」と結ばれました。
決して他人事ではなく、私たち一人ひとりが真実の声を聴き、自らの生き方を問うていく。
3年ぶりの同朋大会は、そんな深い課題をいただいた尊い一日となりました。



コメント