安楽寺だより第16号(親鸞聖人のご生涯⑧)

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親鸞聖人の90年のご生涯をたどるシリーズ第8回

今回は、聖人の思想の到達点とも言える主著『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』の執筆と、関東で広がっていった「弟子を持たない」新しい教団の姿についてまとめました。


【親鸞聖人のご生涯⑧】「弟子一人も持たず」。教行信証の執筆と、広がる念仏の輪

関東での生活が長くなるにつれ、親鸞聖人の周囲には、その教えを慕う多くの人々が集まるようになっていました。

しかし、聖人は決して「偉いお坊さん」として振る舞うことはありませんでした。

1. 布教の原点「自力執心の自覚」

かつて聖人は、上野国(こうずけのくに・群馬県)佐貫の地で、飢饉に苦しむ人々を救おうと「浄土三部経」を読誦し始めましたが、途中でそれを止められました(シリーズ⑥参照)。

「お経の力で人を救おう」とする心。それは、阿弥陀様にお任せするのではなく、自分の力を頼みとする「自力執心(じりきしゅうしん)」に他ならないと気づかれたからです。

この痛烈な自己反省こそが、関東各地での布教の原点となりました。

2. 「御同朋・御同行」の精神

聖人の飾らない言葉と姿に触れ、教えを信じる人々は日に日に増えていきました。

しかし、聖人は彼らを自分の「弟子」とは呼ばず、同じ阿弥陀様に救われていく「友」として接しました。

「弟子一人ももたずそうろう」(『歎異抄』)

(私、親鸞には弟子など一人もいません。みな、阿弥陀様からいただいたお同行です)

「御同朋(おんどうぼう)・御同行(おんどうぎょう)とこそかしずきておおせられけり」(『御文』)

(友よ、仲間よと、相手を敬って呼びかけられた)

師匠風を吹かすことなく、共に悩み、共に喜ぶ。その姿勢が多くの人々の心を打ちました。

3. 「僧伽(サンガ)」の誕生

こうして生まれた念仏者たちは、立派な寺院ではなく、聖徳太子を祀る「太子堂」や、一般の民家に「御名号(ごみょうごう:南無阿弥陀仏の六字)」を掲げて道場とし、集まるようになりました。

身分や貧富の差を超えて、ただお念仏を中心に集う。

やがてそれは有力な門弟たちを中心に、新たな念仏集団(僧伽:サンガ)へと大きく発展していきました。

4. 主著『教行信証』の執筆

聖人は、泥まみれになって教えを説き歩く一方で、ある重大な使命を感じておられました。

「本願念仏の真実の教えを、誤りなく後世に残さなければならない」

聖人52歳の元仁元年(1224年)頃。

聖人は、生涯をかけた主著『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』の執筆に、全身全霊を注ぎ始められました。

私たちが毎日の朝夕にお勤めする『正信偈(しょうしんげ)』は、この『教行信証』の中に収められています。

あれは単なるお経ではなく、聖人が念仏の教えに出遇えた感動と慶びを記した「魂の詩(うた)」なのです。

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