安楽寺だより第39号(二河白道のたとえ⑫)

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親鸞聖人が生涯大切にされた善導大師の物語、「二河白道のたとえ」

旅人の孤独な冒険も、ついに感動のフィナーレを迎えます。今回は、恐怖の「白道」を渡りきった先にあるもの、そして旅の結末についてまとめました。


【二河白道のたとえ⑫】西の岸への到着と、歓喜の対面

火と水の河に挟まれた細い「白道」

旅人は、後ろから迫る群賊(煩悩や悪しき心)と、足元の恐怖に震えながらも、東の岸からの「行け(発遣)」という声と、西の岸からの「来れ(招喚)」という声を信じて、一歩一歩進んできました。

いよいよ、その旅が終わる時が来ます。

1. 喚ぶ声を聞くといえども回顧せず

旅人の耳には、後ろの東岸から「戻ってこい!その道は危険だ!」という群賊や悪獣の声(迷いや誘惑)が聞こえています。しかし、旅人はもう振り返りません(回顧せず)。

西の岸から聞こえる「直ちに来れ、汝を護らん(すぐにおいで、私が必ず護るから)」という阿弥陀様の呼び声を信じているからです。

これは、私たちが迷いの世界にいながらも、「救う」という仏様の約束を疑わずに信じ抜く心を表しています。

2. 一心に直ちに進みて道を念じて行けば

旅人は疑うことなく(一心に)、ただひたすらに前へ進みました。

「道を念じて」とは、阿弥陀様の救いの道(本願)を心に留め、お念仏を称えながら歩む姿です。自分を信じるのではなく、「道(仏の願い)」を信じて身を任せることで、足取りは確かなものになります。

3. 須臾(しゅゆ)にすなわち西の岸に至りて

「須臾」とは、ほんのわずかな時間のこと。

決意して歩み出した旅人は、あっという間に西の岸へとたどり着きました。

あれほど恐ろしかった火の河も水の河も、もう後ろにあります。旅人はついに、諸難(あらゆる苦しみや災難)から離れ、永遠の安らぎの地へと到着したのです。

4. 善友あひ見えて慶喜することなんぞ極まらん

西の岸に降り立った旅人を待っていたのは、「善友(ぜんゆう)」でした。

善友とは、自分を導いてくれた「よき友」、すなわち阿弥陀如来(仏様)のことです。

「よくぞ参った」

ずっと孤独だった旅人は、ついに仏様と対面します。その喜び(慶喜)は、言葉では言い表せないほど極まりないものでした。

もはや恐怖も孤独もありません。そこにあるのは、再会の感動と、満ち溢れる光だけです。


物語が伝える「希望」

「二河白道のたとえ」は、単なる昔話ではありません。

煩悩にまみれ、生きることに迷う私たち(旅人)が、仏様の呼び声(白道)を信じることで、必ず苦しみのない世界(西の岸)へ救われていくという、「魂の救済のドラマ」なのです。

旅人の長い旅は、ハッピーエンドで幕を閉じました。これは、念仏を信じて生きる私たち一人ひとりに約束されている未来の姿なのです。

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