安楽寺だより第43号(第2回 お釈迦様の少年時代)

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お釈迦様が「初転法輪(最初の説法)」に至るずっと前、まだ少年〜青年期の「シッダールタ王子」だった頃の重要なエピソードです。

華やかな王宮生活の中で、ふと世界の残酷さと無常さに気づいてしまう、繊細な王子の心の動きをブログ記事にまとめました。


華やかな王宮の影で。少年シッダールタが気づいた「命の悲しみ」

お釈迦様(シッダールタ王子)の人生は、誕生と同時に深い悲しみから始まりました。

お生まれになってわずか7日後、最愛の母マーヤ王妃がこの世を去られたのです。

その後、母の妹であるマハーパジャパティーが継母となり、王子を我が子のように大切に養育しました。
※マハーは偉大」、パジャパティーは「保護し育てる者」を意味しますが、名もなき育ての母が、シッダールダを偉大な指導者へと導き、自らも初めての尼僧として女性信者を導きます。

王族として何不自由ない恵まれた環境。しかし、母の死という影を背負った王子は、華やかな遊びよりも一人で深く物事を考える、優しく内省的な少年へと成長していきます。

鍬(くわ)入れの儀式で見た「弱肉強食」

ある春の日、国を挙げての「農耕祭」が行われました。

人々が豊作を祈り祝う中、ふと王子の目に、自然界の残酷な連鎖が飛び込んできました。

  1. 農夫が鍬で土を掘り返すと、小さな虫が出てくる。
  2. その虫を、飛んできた小鳥がついばみ、くわえて飛び去る。
  3. すると今度は一羽の猛禽(もうきん)が現れ、その小鳥を捕らえて大空高くへ連れ去った。

「ああ、生きるということは、なんと痛ましいことか……」

生きとし生けるものが、互いに食らい合わなければ生きていけない現実(弱肉強食)。

王子はその光景にいたたまれなくなり、祭りの喧騒を離れ、森の木陰で一人、深く考え込んでしまいました。

「若さへの驕り」への反省

誰よりも豊かで、健康で、若さに満ち溢れていたシッダールタ王子。しかし、その心はすでに「自分もいつか老い、死ぬのだ」という真実に触れていました。

後年、お釈迦様はこの頃の心境をこう振り返っています。

「私は豊かでこの上なく繊細だったが、人間とは無知なもので、自分が老いゆき、老いから逃れようもないのに、他人が老衰したのを見ると、自分のことは棚に上げて、面倒に思い恥じ、嫌らしいなと思う」

「これは私に相応しいことではない。このように見てとった時、青年期の若さの意気は消え失せてしまったのです……」

若くて健康なときは、老いや病気を「他人事」だと思い、無意識に嫌悪してしまう。それは「自分だけは大丈夫だ」という驕り(おごり)に他なりません。

王子は、その漠然とした嫌悪感が自分自身の傲慢さであると気づき、若さや健康を誇る気持ちがすっかり消え失せてしまったのです。

「なぜ?」を問い続ける日々

  • 人はなぜ死ぬのか?
  • なぜ、この世は思い通りにいかないのか?

多くの人が見ないふりをして通り過ぎるこれらの問いを、シッダールタ王子は決して手放しませんでした。

他人事ではなく、自分自身の切実な問題として「いのち」と向き合い続けた少年・青年期。この深い苦悩こそが、やがて全人類を救う「悟り」への第一歩だったのです。

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