安楽寺だより第55号(第14回 お釈迦様とキサー・ゴータミー)

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今日は、愛する我が子を失った悲しみから立ち直り、真実の光を見つけた女性「キサー・ゴータミー」のお話をさせていただこうと思います。

狂おしいほどの愛と、母の悲しみ

物語の舞台は、古代インドのコーサラ国。そこに、キサー・ゴータミーという貧しい女性が暮らしていました。彼女の人生は決して平坦ではありませんでした。頼りになる夫を亡くし、心の支えは生まれたばかりの可愛い赤ちゃんだけ。しかし、無常にもその赤ちゃんまでもが、病によって急に息を引き取ってしまったのです。

想像するだけで胸が張り裂けそうになりますね。あまりの悲しみに、彼女は心が壊れてしまいました。冷たくなった我が子を胸に抱き、「誰か、この子を生き返らせる薬をください! お願いです!」と、狂ったように町中の家々を訪ね歩いたのです。

見るに見かねたある人が、彼女にこう助言しました。「祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)にいらっしゃるお釈迦様なら、あるいはその方法をご存知かもしれないよ」と。

お釈迦様とキサーゴータミー

お釈迦様が示した「不思議な薬」

藁にもすがる思いで、彼女はお釈迦様のもとへ駆け込みました。「お釈迦様、どうか私の赤ちゃんを生き返らせてください」

その必死な形相をご覧になったお釈迦様は、静かにこう答えられました。

「よろしい。私がその薬を作ってあげよう。そのために、町へ行って『ケシの実』を三粒もらってきなさい」

ケシの実は、当時ごくありふれたものでした。彼女が表情を明るくしたのも束の間、お釈迦様は一つの条件を付け加えられました。

「ただし、そのケシの実は、今までに一度も死人(お葬式)を出したことのない家からもらってこなくてはなりませんよ」

お釈迦様とキサーゴータミー

街中で見つけた、ある「真実」

彼女は再び赤ちゃんを抱き、希望を持って町へ飛び出しました。

「ケシの実をください!」と頼むと、どこの家も快く分けてくれようとします。しかし、彼女が「こちらの家では、過去に誰か亡くなった方はいますか?」と尋ねると、人々の顔は曇ります。

「去年、父を見送りました」

「数年前に子供を亡くしました」

「ご先祖様を含めれば、死人を出していない家などありませんよ」

一軒、また一軒。彼女は町中の家を訪ね歩きましたが、死の悲しみを知らない家など、どこにも存在しませんでした。

夕暮れ時、疲れ果てた彼女は、ふと気づきます。死というものは、自分だけに降りかかった不幸ではなく、生きとし生けるものすべてに平等に訪れる運命なのだと。

仏教の言葉で言う「生者必滅(しょうじゃひつめつ)、会者定離(えしゃじょうり)」

命あるものは必ず死に、出会った人とは必ず別れる時が来る。この厳しいけれど逃れられない真理を、彼女は理屈ではなく、身を持って悟ったのです。

お釈迦様とキサーゴータミー

亡き子が教えてくれた、歩み出す力

真実に気づいたキサー・ゴータミーの心から、狂気は消えていました。

彼女は、冷たくなった我が子を静かに墓地へと横たえ、優しく語りかけました。

「ごめんね、母さんはあなたを生き返らせてあげられなかった。でも、あなたは母さんに、世の中で一番大切なことを教えてくれたのね。ありがとう」

彼女の涙は、もはや嘆きの涙ではなく、感謝と決意の涙に変わっていたのでしょう。

こうして彼女は、お釈迦様の待つ祇園精舎へと戻り、新たな人生の一歩を踏み出すために出家し、仏教の深い教えを学ぶ弟子となりました。

私たちが街歩きをしていて、古いお墓や石碑を見かける時、そこには数え切れないほどの「別れの物語」があったことを思い知らされます。

悲しみは消えることはないかもしれません。しかし、キサー・ゴータミーのように、その悲しみを通して「命の尊さ」「今ある縁のありがたさ」に気づくことができたなら、私たちは少しだけ強く生きていけるのかもしれませんね。

お釈迦様とキサーゴータミー

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