安楽寺だより第57号(第16回 王舎城の悲劇③)

王舎城の悲劇 安楽寺News
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前回に続き、古代インドの「王舎城(おうしゃじょう)の悲劇」のお話です。今回は、絶望の淵に立たされた母・イダイケ夫人が、奇跡の対面を果たす感動的な場面をご紹介しましょう。

孤独な夜の祈り

息子アジャセによって王宮の奥深くに幽閉されてしまったイダイケ夫人。
夫も囚われ、頼れるものは誰一人としていない状況で、彼女の精神は限界を迎えていました。

そんなある日、彼女は遥か彼方の霊鷲山(りょうじゅせん)に向かって礼拝し、涙ながらにこう祈ります。
「お釈迦様、どうか私のもとへ、お弟子の目連(もくれん)様と阿難(あなん)様を遣わしてください。彼らに会って、慰めてもらいたいのです」

ここがとても人間らしいポイントです。彼女はお釈迦様ご本人に来ていただくなんて恐れ多いと思い、気心の知れた「部下」「側近」であるお弟子さんたちとの面会を望んだのです。
現代で言えば、「社長に来てくれとは言えないけれど、いつも親しくしてくれている課長さんに話を聞いてほしい」といった心境でしょうか。彼女の孤独と慎ましさが痛いほど伝わってきます。

紫金色に輝く、予想外の来訪者

ところが、ここで予想を遥かに超える出来事が起こります。 イダイケ夫人が顔を上げると、そこにはなんと、目連と阿難を従えたお釈迦様ご自身が立っておられたのです。

そのお姿は、言葉を失うほど神々しいものでした。体は高貴な「紫金色(しこんじき)」に輝き、まるで宝石をちりばめたような「百宝(ひゃっぽう)の蓮華台」に座っておられます。
部下を派遣するのではなく、トップであるお釈迦様自らが、一番辛い思いをしている彼女のために、空を飛んで駆けつけてくださったのです。
皆さんも、自分なんかのために大切な人がわざわざ足を運んでくれたら、それだけで胸がいっぱいになりますよね。
仏教が説く「慈悲」とは、まさにこういう「寄り添う心」のことなのかもしれません。

お釈迦様の姿を見たイダイケ夫人は、張り詰めていた糸が切れたように泣き崩れます。
身につけていた美しい首飾りを引きちぎり、地面に伏して、これまでの不幸をすべて打ち明けました。
「なぜ私はこんな悪い子を産んでしまったのでしょう。前世で一体どんな罪を犯したというのですか」と。

濁りのない世界への憧れ

そして、彼女は最後にこう懇願します。
「お釈迦様、もう私はこの苦しみの多い世界を見たくありません。どうか、少しの濁りもない、清らかな国(浄土)を見せてはいただけないでしょうか」

これは単なる現実逃避ではありません。「恨みや争いのない、心安らかな世界で生きたい」という、魂の根源からの叫びでした。
この彼女の願いがきっかけとなり、私たちにも馴染み深い「極楽浄土」の教えが説かれることになるのです。

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様々な宗派から改宗を悩んでおられる方も多くいらっしゃるかと思いますが、ご先祖さまや故人の葬儀や永代供養墓を託される前に、お寺の住職様が日々何を大切に守り生きて来られたのか、是非ご一読いただけますと幸いです。

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