安楽寺だより第40号(二河白道のたとえ⑬)

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13回にわたりご紹介してきた、善導大師「二河白道(にがびゃくどう)のたとえ」シリーズ。

今回はその締めくくりとして、この物語が私たちに伝える「仏教の本質」「生きる希望」についてまとめます。

お釈迦様の時代から二千数百年。多くの先人たちが苦労してつないでくれたバトンは、今、この「たとえ話」を通して私たちの手元に届いています。


1. 苦悩こそが、未来を開く「鍵」である

仏教というと、何か神秘的で遠い世界の話だと思っていませんか?

しかし、仏教の本質は「人間そのものを明らかにする教え」です。

善導大師が示したこの「二河白道のたとえ」の素晴らしい点は、私たちの抱える「苦悩」を否定していないことです。むしろ、「苦悩する場所こそが未来を開く扉であり、苦しみを縁(きっかけ)として生きる道が開かれる」と説いています。

悩みや苦しみは、避けるべき障害物ではなく、新しい自分に出会うためのスタートライン。これこそが、人間の実生活に根ざした仏教の味わい深い解釈(妙釈)なのです。

2. 「行き詰まり」は「思いの狭さ」

この教えは、「一切の往生人等(おうじょうにんら)に白(もう)さく」――つまり、「浄土へ往きたいと願うすべての人々へ告げる」という呼びかけから始まります。

私たちは人生で何度も「行き詰まり」を感じます。生きようともがけばもがくほど、出口がないように思える絶望感。

しかし、仏様の教え(智慧)に出会うと、ふと気づかされるのです。

「出口がないと思っていたのは、私の見方(思い)が狭かったからではないか?」

煩悩を抱えたままでも、阿弥陀仏の救いを信じて進めばいい。

そう教えられ、観方(みかた)をガラリと変えることで、閉ざされていたはずの壁に出口が見えてくる。それもまた、人間の持つ可能性です。

自分自身を信じ、あらゆるものを尊重する心を持った時、私たちの目の前には極楽浄土の世界が開かれているのです。

3. 「白道」を歩む3つのステップ

最後に、この物語の主人公(旅人)がたどった心の変化を整理しましょう。

それは、自分の力(自力)だけで悟りを開こうとして挫折した者が、真実の救い(他力)に目覚めていくプロセスそのものです。

① 絶体絶命の自覚

旅人は気づきます。前には激しい「水の河(貪欲)」「火の河(怒り)」。後ろからは「悪獣・群賊(煩悩)」が追いかけてくる。

「進むも地獄、戻るも地獄、止まるも地獄」。自分の力ではどうにもならない死の淵に立たされます。

② 決意と方向転換

そこで二つの「声」が届きます。

  • 東の岸(こちらの世界)から: 「この道を尋ねて行け」というお釈迦様の勧め
  • 西の岸(向こうの世界)から: 「直ちに来れ、汝を護らん」という阿弥陀仏の呼び声

この二尊の言葉を信じ、旅人は「よし、この細い白道(往生を願う心)を行こう」と自らの意思で一歩を踏み出します。

③ 迷いのない前進

歩き出すと、東岸からは「戻っておいで、あんな危険な道は無理だ(過去の執着や悪魔の誘惑)」という声が聞こえます。

しかし、旅人はもう振り返りません。貪欲と怒りの河(煩悩)に挟まれた細い道であっても、一心に信じて進めば必ず極楽浄土へ至ることができるのです。


人生という荒野で、どう生きるべきか迷った時、この「二河白道」の白い道は、常に私たちの足元に「希望」として続いています。

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