親鸞聖人が大切にされた、善導大師による魂の物語「二河白道のたとえ」。
第10回となる今回は、旅人がついに二人の仏様の声を聞き、決意を持って一歩を踏み出す重要な場面です。
闇の中をさまよっていた旅人が、なぜ「白道」を歩むことができたのか。その心の動きをまとめました。
無明の闇を照らす「二つの声」
旅人の前には、怒りの火の河と、欲望の水の河。後ろには悪獣や群賊。
どう生きればいいのか、自分とは何者なのかも分からない無明(むみょう)の闇の中で、旅人は立ち尽くしていました。
そこへ、二つの方向から声が届きます。
- 東の岸(こちらの世界)から:お釈迦様の「発遣(はっけん:行きなさい)」の声。
「この白い道を行きなさい。あなた自身を照らしてくださる教えに出会ってください」 - 西の岸(お浄土の世界)から:阿弥陀様の「招喚(しょうかん:来なさい)」の声。
「この道を歩んで来なさい。あなたのあるがままを照らしてくださる白道を、私が護るから歩んでください」
「凡夫」の自覚と、深い頷き
この二尊の呼びかけを聞いた旅人は、物語の中でこう語ります。
「すなわち自ら正しく心身に当たりて、決定して道を尋ねて、直ちに進みて」
これは単に行動を起こしただけではありません。
「自ら正しく心身に当たりて」とは、「自分は煩悩具足の凡夫(ぼんぷ:愚かな存在)である」という事実に気づいたことを意味します。
自分の力ではどうすることもできない無力な私だからこそ、阿弥陀様の「必ず救う」というご本願(約束)が必要だったのだ――。
そのことに深く頷き、信じる心が定まった時、旅人の足は自然と前へ動き出したのです。
一すじの光「疑怯退心を生ぜず」
お釈迦様の「行け」という励ましと、阿弥陀様の「来れ」という招き。
この二つの声は、旅人の心身の中で一つに響き合います。その響きの中に、お浄土から旅人の足元へ向かって、一すじの「白道」が鮮やかに開かれました。
旅人の心には、もはや「疑怯退心(ぎこうたいしん:疑い、怯(おび)え、退こうとする心)」はありません。
なぜなら、周りが火の河・水の河という絶望的な状況であっても、「この一すじの道を歩む私自身」を、すでに仏様から賜っている(いただいている)からです。
私が歩くのではない、仏様の願いが私を歩ませてくださる。
その安心感に包まれたとき、旅人は恐れることなく白道へと踏み出したのでした。



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