親鸞聖人が大切にされた善導大師の物語、「二河白道のたとえ」シリーズ第4回。
ここから物語は、お釈迦様の説法を聞いた私たち(行者・旅人)が、実際にどのような状況に置かれているのか、その内面世界の描写へと入っていきます。
広大な荒野で一人ぼっちになった旅人。そこに襲いかかる危機とは何か。
今回は、「人生を『問い』を持って生きる」ことの始まりについてまとめました。
孤独な荒野と、迫りくる「死の影」
旅人は、西(お浄土)を目指して旅に出ました。しかし、たどり着いた場所は、想像を絶する孤独な場所でした。
「この人すでに空曠(くうこう)のはるかなる処に至るに、さらに人物なし」
(旅人が広大で何もない荒野に行き着くと、そこには誰一人としていなかった)
友も家族もいない、完全な孤独。これは、私たちが人生の究極の場面(老い、病い、死)においては、「たった一人で向き合わなければならない」という冷厳な事実を表しています。
群賊と悪獣=「無常の現実」
その孤独な旅人を見逃さなかったのが、恐ろしい存在たちです。
「多く群賊(ぐんぞく)・悪獣ありて、この人の単独なるを見て、競ひ来りて殺さんと欲す」
(多くの盗賊や恐ろしい野獣たちが、旅人が一人ぼっちであることを見て、競うように襲いかかり、殺そうとしてきた)
ここで言う「群賊・悪獣」とは、単なる悪者ではありません。
私たちの命を脅かす「死」や「無常」、そして私たちの心を乱す「煩悩(欲や怒り)」の譬えです。
健康や若さ、財産……私たちが頼りにしていたものが崩れ去る時、死の恐怖は一気に押し寄せてきます。
恐怖が「問い」を生む
「この人死を怖れてただちに走りて西に向かふ」
(旅人は死ぬことを恐れて、一心不乱に西へ向かって走り出した)
ここが非常に重要なポイントです。
旅人は、ただ逃げているのではありません。死の恐怖に直面したことで、初めて「真剣に生きる道(西)」を求め始めたのです。
- 「私はなぜ死ぬのか?」
- 「この命はどうなるのか?」
- 「本当の安らぎはどこにあるのか?」
平和な時には忘れていたこれらの「人生の問い」が、危機的状況(群賊・悪獣)によって呼び覚まされたのです。
「ただちに走りて西に向かう」姿は、問いを持って真実の救いを求め始めた、私たち自身の姿そのものなのです。



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