親鸞聖人が生涯の支えとされた善導大師の物語、「二河白道(にがびゃくどう)のたとえ」。
シリーズ第3回となる今回は、絶望的な状況の中に浮かび上がる「一すじの救いの道」の発見についてです。
なぜ私たちの人生は「出口がない」と感じられるのか。その原因と、解決の糸口がここに描かれています。
水と火の間に「白い道」があった
背後からは群賊、左右には毒虫。逃げ場を失った旅人の目の前に広がるのは、燃え盛る火の河と、逆巻く水の河でした。
しかし、よく見ると、その二つの恐ろしい河の間に、一本の道があることに気づきます。
「まさしく水火の中間に一の白道(びゃくどう)あり。闊(ひろ)さ四五寸ばかりなるべし」
(なんと、水と火の河の間に、一本の白い道があるではないか。しかしその幅はわずか四、五寸[約15cm]ほどしかない極めて狭い道だ)
「この道東の岸より西の岸に至るに、また長さ百歩」
(長さは百歩ほどで、向こう岸は近い)
常に波と炎にさらされる道
道はある。しかし、それは決して安全な「橋」のようなものではありませんでした。
「その水の波浪交はり過ぎて道を湿(うるお)し、その火炎また来りて道を焼く。水火あひ交はりて、つねにして休息することなし」
水の河の波は道に覆いかかり、火の河の炎は道を焼き尽くさんばかりになめ回しています。
水と火は交互に、あるいは同時に襲いかかり、一瞬たりとも休まることはありません。
「出口なし」と感じる本当の原因
この凄まじい光景は何を表しているのでしょうか。
- 水の河=貪欲(とんよく): 尽きることのない「欲」の心。
- 火の河=瞋恚(しんに): カッとなる「怒り」や憎しみの心。
私たちの心は、常に「もっと欲しい」という欲の波に濡れ、「許せない」という怒りの炎に焼かれています。
人生が「行き止まり」で「出口がない」と感じてしまう本当の原因は、環境のせいだけではありません。私たち自身の心が、欲と怒りの炎で燃え盛り、冷静な判断や真実を見失っているからなのです。
わずか15cmの希望
そんな煩悩の嵐の中に、かろうじて存在する「幅15cmの白い道」。
これは、欲や怒りにまみれた私たちの心の中に、阿弥陀仏の願い(清浄な信心)が届き、「わずかでも、真実に生きようとする心(白道)」が恵まれていることを表しています。
どんなに欲深く、怒りっぽい私たちであっても、そのただ中に「仏様の通う道」がすでに開かれている。
「出口がない」と嘆くのは、この細くとも確かな道が、煩悩の炎と波に隠れて見えていないからに他なりません。
旅人は、この道を見つけました。しかし、あまりにも細く、危険な道です。
果たして渡ることができるのか? 物語はここから、旅人の心の葛藤へと深く入っていきます。



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