安楽寺だより第18号(二十二組 同朋大会)

安楽寺だより第18号 安楽寺News
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先月開催された「二十二組同朋大会(どうぼうたいかい)」の様子と、心に響くご講演の内容をご報告します。

「足のない幽霊」が教えてくれること、そして「おかげさま」と言える生き方とは。

日々の暮らしを見つめ直す、温かいメッセージが詰まったブログ記事です。


【開催報告】「おかげさま」と言える人生を歩む ―二十二組同朋大会より―

春のお彼岸の中日にあたる先月3月21日、「二十二組同朋大会」が開催されました。

当日は、二十二組に所属する各寺院のご住職やご門徒の皆様、およそ150名が集い、仏さまの教えに耳を傾けました。

今回は、講師にお迎えした稲沢市・教西寺ご住職の楳山正樹(うめやままさき)先生のご講演より、心に残るお話をご紹介します。

「一日の空過(くうか)は一生の空過」

講演は、ドキッとするような言葉から始まりました。

「一日を空しく過ごすことは、一生を空しく過ごすことにつながる」

ちょうどこの日はお彼岸の中日。

彼岸(ひがん)」という言葉は、親鸞聖人が大切にされた『仏説無量寿経』にある「慧眼見真 渡彼岸(えげんけんしん とひがん)」(智慧の眼で真実を見て、彼岸に渡る)に由来します。

お彼岸は単に「暑さ寒さも彼岸まで」という季節の節目ではありません。

迷いと苦しみの世界(此岸:しがん)に生きる私たちが、心静かに仏法を聞き、お浄土(彼岸)への歩みを始めるための大切な期間なのです。

日本の幽霊に「足」がない理由

楳山先生は、私たちの「今」を見失っている姿を、「日本の幽霊」に例えて分かりやすくお話しくださいました。

  • 長い髪: 過去を引きずり、悔やんでいる姿。
  • 前に出した手: まだ来ぬ未来を憂い、不安がっている姿。
  • 足がない: 「今」という大地を踏みしめていない姿。

過去を悔やみ、未来を心配するばかりで、「今」をおろそかにしてはいないでしょうか。

お釈迦様は、私たちに「今をどのように生きるか」を問いかけておられます。

「おかげさま」と手を合わせる姿

私たちは普段、「病気が治りますように」「嫌なことがなくなりますように」といった願望を持って生きています。

しかし、仏教が願う生き方は、そうした自分の都合を満たすだけの人生ではありません。

先生は、ある教西寺のご門徒のおばあちゃんのお話を紹介されました。

その方は、薬を飲むとき、

「この薬のおかげで、朝まで寝かせてもらえる。ありがたい」

とおっしゃったそうです。

また、お嫁さんの優しさにも「おかげさまで」と手を合わされる。

自分の思い通りにならないこと(病気や老い)を抱えながらも、お念仏に出会って「お育て」をいただき、今の自分の人生をそのまま「おかげさま」と受け取っていく。

敬いの心で手を合わせるその姿こそ、真の願いに目覚めた人生であると教えていただきました。

お念仏を「形見」として

講演の結びに、蓮如上人『御文』から次のお言葉が引かれました。

「のちの代の しるしのために かきおこし のり(法)のことの葉(言葉)かたみ(形見)ともなれ」

後の世代のために、仏法を書き残して形見としたい――。

私たちもまた、空しく過ぎ去る人生ではなく、お念仏のみ教えを聞いて「おかげさま」と言える人生を歩んでほしい。そんな強い願いが込められたご講演でした。

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