安楽寺だより第14号(親鸞聖人のご生涯⑥)

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親鸞聖人の90年のご生涯をたどるシリーズ第6回

今回は、流罪の地・越後を離れ、新たな天地「関東」へと向かわれた聖人の旅路と、そこで直面した自身の「心の闇(自力執心)」への深い気づきについてまとめました。


【親鸞聖人のご生涯⑥】赦免、そして関東へ。「人を救いたい」という思いに潜む自力

越後への流罪から5年が経った建暦元年(1211年)。

親鸞聖人のもとに、ようやく流罪の「赦免(しゃめん:許し)」の知らせが届きました。

しかし、それを追うようにして、京都から悲しい知らせが届きます。師と仰ぐ法然上人の訃報でした。

1. 京へは戻らず、新天地「関東」へ

師を失った悲しみの中、聖人は京都へは戻らない決断をされます。

建保2年(1214年)、42歳になられた聖人は、妻の恵信尼(えしんに)様や子供たちと共に、東の地、関東へと旅立たれました

当時、鎌倉に幕府が開かれた関東は、新しい日本の中心地として活気に満ち、様々な可能性を秘めた地域でした。「ここなら、もっと多くの人にお念仏の教えを伝えられるかもしれない」――そんな希望を胸に抱かれていたことでしょう。

2. 飢饉の惨状と「千部読誦」の行

しかし、現実は過酷なものでした。

その頃の関東各地は、ひどい干ばつに見舞われ、飢饉が広がり、多くの人々が飢えと病に苦しんでいました。

上野国(こうずけのくに・現在の群馬県)佐貫(さぬき)の地を通られた際、その惨状を目の当たりにした聖人は、居ても立ってもいられなくなりました。

「この人々の苦しみを何とかしたい」

その一心で、聖人は「浄土三部経千部読誦(じょうどさんぶきょうせんぶどくじゅ)」という行法を始められたのです。お経を千回読むことで功徳を積み、人々の平安を祈ろうとされたのでした。

3. 突然の中止と「自力執心」への気づき

ところが、聖人はこの読経を途中でピタリと止めてしまわれました。なぜでしょうか?

それは、「人々のために祈る」という行為そのものが、自分の力を頼みとする「自力(じりき)」の心であると気づかれたからです。

「私はまだ、自分の力で人々を救おうとしているのか」

「阿弥陀如来のおはたらき(他力)にすべてを任せきれず、自分の行いでどうにかしようとする『自力執心(じりきしゅうしん)』が抜けていないではないか」

法然上人から教わった「ただ阿弥陀仏にお任せする」という他力本願の教えとは裏腹に、古来からの「祈祷仏教(祈れば叶う)」にすがろうとしていた自分自身の愚かさに、愕然(がくぜん)とされたのです。

4. 本当に救われるべき人とは

この佐貫での挫折体験は、聖人のその後の布教に大きな影響を与えました。

生きるために必死で、他人のことなど顧みる余裕もない人々。お経を読む暇も、修行をする力もない人々。

「そのような人々こそが、阿弥陀如来の本願によって救われる目当てなのだ」

自分の無力さを痛感したからこそ、聖人はより強く確信されたのではないでしょうか。

この深い気づきを胸に、聖人は関東の大地で、泥まみれになりながら「ただお念仏」の教えを伝える旅へと歩みを進めていかれました。

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