安楽寺だより第7号(宗祖親鸞聖人750回御遠忌法要を厳修)

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京都・東本願寺(真宗本廟)にて厳修された、50年に一度の重要行事「宗祖親鸞聖人750回御遠忌(ごえんき)法要」

この法要が、東日本大震災という未曾有の国難の中でどのような願いを持って勤められたのか、そして現代社会における「お念仏」の意義についてまとめました。


【報告】宗祖親鸞聖人750回御遠忌法要 ―テーマ「今、いのちがあなたを生きている」―

本年4月19日から5月28日までの長きにわたり、京都の本山・東本願寺(真宗本廟)において、「宗祖親鸞聖人750回御遠忌法要」が厳粛に勤まりました。

期間中は、全国各地から数十万人ものご門徒・ご信徒の皆様が参拝され、聖人のご遺徳を偲ぶとともに、阿弥陀様の「み教え」に出遇う尊いご縁となりました。

震災の悲しみと共に

50年に一度というこの勝縁(しょうえん)。

しかし、このたびの法要は、単なる祝賀行事ではありませんでした。

3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震と大津波。

この未曾有(みぞう)の大災害により尊い命を亡くされた方々への哀悼の意、そして今なお苦難の生活を強いられている被災地の皆様への支援の願い。

法要は、深い悲しみと、復興への祈りを込めて勤められました。

現代の「闇」を照らす光

今回の御遠忌のテーマは、

「今、いのちがあなたを生きている」

です。

現代の日本は、「経済成長」を遂げ、物質的には豊かになりました。

しかしその陰で、人間関係は希薄になり、深い「孤独」「孤立」が社会を覆っています。

親鸞聖人が明らかにされた本願念仏のみ教えは、こうした現代社会の苦悩の闇に光を当て、「私たち一人ひとりが、この闇をどう受け止め、どう生きていくのか」を鋭く問いかけています。

「人間回復」の一歩へ

限りない慈悲と、さわりなき智慧である「なむあみだぶつ」

その喚び声は、ともすれば空(むな)しく過ぎていく私たちのあり方を深く「慚愧(ざんき:反省し恥じ入ること)」させ、同時に、真に生きる意欲と喜びを与えてくださいます。

お念仏によって恵まれる「私とあなた」の関係。

孤立を越え、互いに手を取り合って「人間回復の一歩」を歩み出すこと。

それが、震災という悲劇を経た今、この法要に込められた切なる願いなのです。

「無量寿如来に帰依し、不可思議光に南無したてまつる」とは

「無量寿如来(むりょうじゅにょらい)に帰依(きえ)し、不可思議光(ふかしぎこう)に南無(なむ)したてまつる」

これは、親鸞聖人が書かれた『正信偈(しょうしんげ)』の冒頭の一節であり、聖人の信仰告白そのものです。

一言でいうと、

「私は、限りない命(時間)と、思いはかることのできない光(空間)の仏さまである阿弥陀如来を、心から信じ、そのお救いにおまかせいたします」

という意味です。


1. 二つの名前ですが、一人の仏さまです

この一節では「無量寿如来」「不可思議光」という二つの言葉が出てきますが、これは別々の仏さまではなく、どちらも「阿弥陀如来(阿弥陀仏)」のことを指しています。

親鸞聖人は、阿弥陀さまのお徳(はたらき)を、「命(時間)」「光(空間)」の二つの側面から讃えられました。

① 無量寿如来(むりょうじゅにょらい)=「命」の仏さま

  • 意味: 量(はか)りしれない寿命を持つ仏さま。
  • はたらき(時間): いつでも、過去から未来永劫にわたって、私を見捨てずに救い続ける「慈悲」の心を表しています。「私が死んだら終わり」ではなく、永遠の命をもって支えてくださいます。

② 不可思議光(ふかしぎこう)=「光」の仏さま

  • 意味: 人間の頭では想像もできない(不可思議な)、ものすごい光の仏さま。別名「無量光仏(むりょうこうぶつ)」。
  • はたらき(空間): どこまでも届く光。どんなに隅っこにいる私でも、どんなに心の闇が深い私でも、突き抜けて照らし出し、救い取る「智慧」の働きを表しています。

2. 「帰依(きえ)」と「南無(なむ)」

この二つは、言葉は違いますが同じ意味です。

  • 南無(なむ): 古代インドのサンスクリット語「ナマス(Namas)」を音写した言葉。
  • 帰依(きえ): その「ナマス」を中国語(漢字)に翻訳した言葉。

どちらも、「おまかせする」「敬い従う」「頼りにする」という意味です。

親鸞聖人は、あえて同じ意味の言葉を重ねることで、「私はこの阿弥陀さまに、全身全霊で頼りきっています」という、強く揺るぎない信心を表されています。


まとめ

つまり、この冒頭の言葉は、

「いつでも(無量寿)、どこでも(不可思議光)、私を救うとはたらいてくださる阿弥陀さまを、私は信じて疑いません」

という、親鸞聖人の力強い宣言なのです。

ご門徒(浄土真宗)の方が、毎日のお勤めで最初にこの言葉を唱えるのは、親鸞聖人と同じ心で「私も阿弥陀さまにおまかせして生きていきます」と確認するためと言えます。

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