今回は、 親鸞聖人のご生涯をたどる旅の第2弾として、 聖人が人生のどん底でもがき苦しみ、 そしてついに「光」を見出した場所、 この六角堂を舞台にお話ししたいと思います。
聖徳太子ゆかりの「駆け込み寺」
皆さんは、 この六角堂が聖徳太子によって建立されたお寺だということをご存知でしょうか? 正式名称は「頂法寺(ちょうほうじ)」といいますが、 本堂が六角形をしていることから、 古くから「六角堂」の愛称で親しまれています。
ご本尊は、 慈悲の心で人々を救う「観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)」です。 平安の昔から、 人々が苦しみや悩みを抱え、 「もうどうしたら良いのか分からない」と行き詰まった時、 その解決の道を祈り求める場所として信仰を集めてきました。 現代でいうところの、 「心の緊急救命室」や「人生のカウンセリングルーム」のような場所だったのかもしれません。
比叡山でのエリートとしての修行に行き詰まり、 絶望の中で山を降りた若き日の親鸞聖人もまた、 この場所に救いを求めたお一人でした。 聖人は、 日本仏教の祖ともいえる聖徳太子を深く尊敬されており、 「観音様の化身である太子ならば、 この苦しみの解決策を教えてくださるに違いない」 と、 この六角堂に百日間こもる「参籠(さんろう)」を決意されたのです。
「後世」を祈るとは、生きる道を探すこと
聖人の奥様である恵信尼(えしんに)さまが残されたお手紙には、 当時の聖人の様子について、 「聖人は、 後世(ごせ)を祈られた」 と記されています。
「後世」と聞くと、 私たちは「死んだ後のあの世」のことだけをイメージしがちですよね。 しかし、 ここでの意味は少し違います。
当時の聖人にとって「後世を祈る」とは、 単なる死後の安らぎを願うことではありませんでした。 比叡山での修行に挫折し、 未来という方向感覚を完全に失ってしまった、 「今、 ここにある命」のあり方を問うことだったのです。
「自分はこれから、 どう生きていけばいいのか」
「生きていくための支えが何もない」
今の言葉で言えば、 人生の羅針盤を失い、 真っ暗闇の荒野に放り出されたような状態だったのでしょう。
『歎異抄(たんにしょう)』にある、 「いずれの行(ぎょう)もおよびがたき身」 という言葉をご存知でしょうか?
これは、 「どんな修行も満足にできない、 どうしようもない自分」という聖人の悲痛な叫びです。
自分の努力や「自力」では、 もうどうすることもできない。 そんなボロボロになった我が身を、 聖人は聖徳太子の御前に、 文字通り投げ出されたのです。
95日目の暁、夢の中での導き
来る日も来る日も祈り続けて、 参籠も終わりに近づいた95日目の明け方のことでした。 聖人は不思議な夢を見ます。 これが有名な「夢告(むこく)」です。
夢の中に聖徳太子が現れ、 聖人にこう告げられました。
「行者宿報設女犯 我成玉女身被犯 一生之間能荘厳 臨終引導生極楽」
(ぎょうじゃしゅくほうせつにょぼん がじょうぎょくにょしんぴぼん いっしょうしけんのうしょうごん りんじゅういんどうしょうごくらく)
少し難しい漢文ですが、 意訳すると、 現代の私たちの心にも響く、 とてつもなく温かいメッセージになります。
「仏道を歩むあなたが、 もし過去からの縁によって戒律を破るようなことがあっても(たとえば女性を愛し結婚するようなことがあっても)、 私(観音菩薩・聖徳太子)がその相手となりましょう。 そして、 あなたの一生を清らかに飾り、 命終わる時には必ず極楽浄土へ導きましょう」
これは、 当時の仏教界の常識を覆す衝撃的なお告げでした。
「戒律を守れる立派な人も、 守れずに破ってしまう人も、 男性も女性も、 分け隔てなく救う」
つまり、 「自分ではどうすることもできない、 弱くて愚かな身であるからこそ、 決して見捨てない」 という宣言だったのです。
聖人はこの瞬間、 自分の力で悟りを開く厳しい「自力」の道ではなく、 すべての人が救われていく大きな「他力」の大乗仏教に出会われたのでした。
旅の終わりに
六角堂の境内にある「へそ石」のそばに立ち、 聖人が見た夢に思いを馳せてみました。
私たちは日々の生活で、 「ちゃんとしなきゃいけない」 「立派でなければならない」と、 自分で自分を追い込んでしまうことがあります。 でも、 聖人が六角堂で見つけた答えは、 「ダメな自分を抱えたままでいい、 そのままで救われる道がある」 という、 限りなく優しいまなざしでした。
もし皆さんが、 日常に疲れて「行き詰まったな」と感じることがあれば、 ぜひ京都の六角堂を訪れてみてください。 聖人を包み込んだ温かな空気が、 きっと皆さんの背中も優しく撫でてくれるはずですよ。



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