先日、京都の街を歩いていると、ふとどこからか鐘の音が聞こえてきました。「祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の鐘の声、諸行無常の響きあり…」。『平家物語』の冒頭でおなじみのこのフレーズ、皆さんも一度は口ずさんだことがあるのではないでしょうか?
日本で「祇園(ぎおん)」といえば京都の繁華街を思い浮かべますが、実はこの名前のルーツ、お釈迦様が生きておられた古代インドにあることをご存知でしょうか?
今日は、その「祇園精舎」がどのようにして建てられたのか、二人の男性の篤い信仰と、不思議な友情の物語をご紹介します。
ビジネスマン、お釈迦様と出会う
物語の主人公の一人は、コーサラ国という大国に住むスダッタ長者(須達多長者)です。彼は現代で言えば、巨万の富を持つ実業家であり、同時に貧しい人々を助ける慈善家でもありました。
ある時、彼は商用で隣国のマガダ国を訪れます。そこで彼は、運命的な出会いを果たします。すでにお釈迦様の名声は轟いており、スダッタ長者はその教えに深く感動し、その場で帰依して在俗の信者(出家せずに仏教を信仰する人)となったのです。
「私の国の人々にも、尊い教えを聞かせてあげたい」。そう願った彼は、お釈迦様に「雨安居(うあんご)」の期間、ぜひコーサラ国へお越しくださいと懇願しました。雨安居とは、雨季の間、僧侶たちが一箇所に留まって修行すること。つまり、数ヶ月にわたる「お釈迦様ご一行の合宿所」を用意すると申し出たのです。

太子との奇妙な土地交渉
コーサラ国へ戻ったスダッタ長者は、お釈迦様を迎えるのにふさわしい静かな場所を探し回りました。そして見つけたのが、ジェーダ太子(祇陀太子)が所有するマンゴー林でした。
スダッタ長者は早速、太子に土地を譲ってほしいと頼み込みます。しかし、王族である太子にとって土地など売る必要はありません。「私の大切な庭だ。売るつもりはない」と断られます。それでも諦めない長者に、太子は無理難題を吹っかけました。「それなら、この土地一面に黄金を敷き詰めたら譲ってやろう」と。
驚くべきことに、長者は本当に金貨を運び込み始めました。その熱意に心を打たれたジェーダ太子は、ついに折れます。そして、こう提案しました。
「わかった。土地はそなたのもの(スダッタの寄進)としよう。だが、そこに生えている木々は私のもの(ジェーダの寄進)として、お釈迦様に捧げたいのだ」
こうして、土地は長者が、木々は太子が提供するという、身分を超えた「共同プロジェクト」として精舎が建設されることになったのです。

「祇園」という名前に残る絆
完成した精舎は、二人の名前を取って名付けられました。
ジェーダ太子の「祇(ギ)の樹」と、スダッタ長者の別名「給孤独の園」を合わせて、「祇樹・給孤独園・精舎(ぎじゅ・ぎっこどくおん・しょうじゃ)」。
これを略して「祇園精舎」と呼ぶようになったのです。
この場所は、コーサラ国における仏教伝道の最大の拠点となりました。お釈迦様は45年間の伝道の旅の中で、この祇園精舎へ6回も雨安居のために訪れ、多くの説法をされたと伝えられています。
私たちが何気なく呼んでいる「祇園」という言葉の中に、数千年前のインドの長者と王子の、「ここを心の安らぐ場所にしたい」という熱い想いが込められていると思うと、なんだか胸が熱くなりませんか?
街角で「祇園」の文字を見かけた時は、ぜひこの二人の男の物語を思い出してみてください。




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