東別院(名古屋別院)安楽寺さんの法話撮影

安楽寺東別院法話 安楽寺News

2024年4月15日に東別院(真宗大谷派 名古屋別院)で安楽寺若院(住職のご長男で副住職の吉田昌史 師)による法話が行われ撮影に伺いました。
私は浄土真宗の門徒ではありませんが、若院とは幼稚園に通う娘同士が同じプール教室で、毎週パパ友ママ友としてお目にかかることが多く、ご夫妻とも親しくさせていただいておりますが、誠実で礼儀正しく人間的にも信頼と尊敬ができるご夫婦です。
「宗派が同じなら、どのお寺の考え方も同じでは?」と思われがちですが、お寺こそ千差万別です。
八事霊園安楽寺永代供養墓には、様々な地域、様々な宗派からもお申し込みがありますが、納骨先の選定にあたり、「お寺がこの先存続していけるか?」が何より重要だと考えます。
私はお寺や永代供養墓は、歯医者と同く近くで選ぶべきだと考えますが、痛い思い怖い思いをしたくないと考えるとそうもいかないのが現実です。
値段や立地条件、歴史や華やかさも大切な要素ですが、ご先祖様や大切な人を弔うにあたり、法要や法話などに触れ、住職やそのご家族の人間性(人の痛みや苦しみを理解し共感できる心がわずかでもあるか?)をお確かめの上、誰に託すかをお決めいただくのがよろしいかと思います。

法話のテーマ「普通とはなにか?」

ここで「普通」といういうのは、仏教の平均値を指すと思われるのですが、その基準は時代によって大きく異なります。
日本には飛鳥時代に聖徳太子によって仏教が広められて以来、長い伝統があり、現在では13宗56派に加え新たな仏教系宗派がその倍ほどあると言われています。
しかし、1万円札の肖像画にもなったほどの聖徳太子が、宗祖では無い理由はなぜでしょうか?
当時仏教は宗教ではなく国防のための学問であったからです。
なぜ聖徳太子が仏教を取り入れたのかは賛否ありますが、一つは中国の隋が巨大な統一国家として誕生したため、日本にとっては大きな脅威となったためで、国防のため官僚らが読み書きできるようするため仏教を利用するのが「普通」でした。
現代のウクライナ戦争でもロシアに対抗するため、フィンランドやスウェーデンが急きょ集団防衛のためNATOに加盟しましたが、この時代の日本でも仏教加盟による防衛組織編成と、協調的安全保障が急がれたのではないかと思います。

一般庶民向けの宗教となったのは親鸞らが登場した鎌倉時代で、その流れは江戸時代まで続きますが、現代と基準の「普通」が大きく異なります。
平安や鎌倉時代以降の仏教でも、戒律(僧侶らの厳しいルール)は最も重要視され、特に肉食妻帯(肉を食べ妻をめとる一般庶民としてのふるまい)は、厳しく制限されました。
江戸時代の古文書を紐解きますと、浄土真宗以外の宗派で肉食妻帯した僧侶は、公開処刑されることもあったとあります。
(今でも仏教発祥のインドでは、下の身分の者が上の身分の人の前で食事をするだけで公開処刑が行われ、罪に問われないなどインド発展の障壁になっています)
親鸞を含めた浄土真宗がなぜ肉食妻帯が認められたのかはここでは触れませんが、少なくとも江戸時代までの仏教は肉を食べないことや女性に触れない(目を合わせてもいけない)ことが「普通」でした。
その「普通」が大きく変わったのが、今から約150年前(明治5年4月25日)に明治政府より出された「自今僧侶肉食妻帯蓄髪等可為勝手事」令です。
現代の言葉にすると「今日から僧侶が肉を食べ妻をめとり、髪を伸ばしてファッションを楽しんでもOK!」との解禁令が出されたのです。
江戸時代まで続いたお寺の特権階級を無くすため、僧侶にも戸籍を与え、徴兵の対象とするため、徹底的な僧侶の一般化が広まりました。
私が幼少期を過ごした鹿児島では厳しい仏教廃絶により,数年間は一つの寺院もなく、一人の僧侶も見られなかった時期があると伝わりますが、明治初頭の九州南部では、お寺が無いのが「普通」でした。
親鸞以降の浄土真宗以外の宗派では、僧侶が肉を食べ妻をめとることは戒律で厳しく禁じられた「肉食妻帯」も、明治以降は常識的なこととなり、今では多くの宗派のお寺の跡取りは、その家に生まれた子供が継承することが「普通」となりました。

名古屋の八事霊園が建立された大正時代には、一般庶民もお墓を持つことが「普通」となり、高度経済成長期の昭和では、供養の概念の無い浄土真宗においても、四十九日やお盆法要など、年忌法要が行われるのが「普通」となりました。
平成では墓じまいし、お寺を変える改宗が「普通」となり、亡くなると即座に成仏するため、永代供養ができないと言われていた浄土真宗のお寺でも、永代供養墓が「普通」となりました。
令和に入ってお寺には近寄らず、葬儀に僧侶を呼ばないことが「普通」となりました。
そして、「1人生まれても2人が死ぬ」が50年続く大量死時代には、日常生活において人が亡くなることが「普通」で、火葬のみで葬儀すら行われない時代が「普通」となるのでしょうか・・・

「普通」とは実に大きなテーマであると、安楽寺若院の法話に聞き入りました・・・

名古屋別院境内は多くの参拝者が訪れていましたが、人工知能AI画像処理で人影が見えないように加工してあります。

安楽寺東別院法話

本堂がある大殿は世界最古の木造建築で国宝の法隆寺金堂を彷彿とさせる荘厳な造りになっています。

安楽寺東別院法話

法話が行われた対面所は平降棟(ひらくだりむね)造り。
左右の鬼瓦を結ぶ大棟(おおむね)から、下へ延びる2本の降棟(くだりむね)が特徴です。
左右の屋根と屋根をつなぐ部分は、東大寺大仏殿にも見られる2段重ねの棟(むね)で、内側が隅降棟(すみくだりむね)、外側が稚児棟(ちごむね)と呼ばれます。

安楽寺東別院法話

優しく穏やかに語られる、安楽寺若院による法話の様子です。
私は午後の部からの参加で、撮影しながら30分聴聞させていただきましたが、仏教における「普通とは何か?」について記憶を辿って、遠方で聴聞できない方のためにメモを残します。

  • 中国の唐で教えを受けた最澄が帰国後に「天台宗」を広め、比叡山で学んだ浄土真宗の親鸞、親鸞が帰依した浄土宗の法然、臨済宗の栄西、曹洞宗の道元、日蓮宗の日蓮など。
  • 親鸞の弟子が親鸞の追想を記した歎異抄(たんにしょう)第2章「地獄は一定すみかぞかし」
    親鸞いわく、どうせ地獄に落ちる身ならば、法然上人に従って地獄に落ちるなら落ちたい。
    人は死後7日毎に裁判を受け生前の行為の善悪が審理されるが、遺族の追善供養で結果が変わるとの世間一般の普通を踏襲し、真宗でも天台宗にならい法要が行われる。
  • 中国唐の時代に長安を中心に浄土教を広めた法照(ほっしょう)が説く道理の話で、日本へは平安時代に流行。自分では変えることのできない道理に従って生きることが真宗。
安楽寺東別院法話

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