庶民がお墓を持つようになったのはいつから?

永代供養墓

一般庶民がお墓を持つようになったのは江戸時代からですが、墓石は高価で庶民が手を出せる代物ではありませんでした。
亡くなった人を埋葬した場所が分かるよう、名前が書かれた卒塔婆や目印の石が置かれたりする程度です。
この時代のお墓はほとんど残っていませんが、私が大変お世話になっている古いお寺さんで、江戸時代1792年建立のお墓を見せていただいたのですが、石塔に辞世の句が彫られ、見上げるほどの立派な個人墓でした。おそらく、当時の住職のお墓か何かで、一般庶民の檀家さんのお墓ではなかったと思われます。
江戸時代のお墓は、ほとんどは個人の墓で、多くても夫婦までが納骨される個人墓ですが、明治に入ると、家父長制(長男がすべての財産を継承し一族を束ねていく制度)を中心としたイエ制度に移行し、お墓は、供養と埋葬に加え、「○○家の墓」として家紋を彫るなど一族のシンボルともなります。
現代の四角い墓石に「○○家の墓」と書かれたものが登場し始めたのは大正時代で、一般庶民がお墓を所有するようになったのは昭和に入ってからのことです。
昭和初期の方にとって個人でお墓を持つことは悲願であり、立派な墓石に名前を刻むことは、亡き両親への恩返しであり、やがて自分も大切に育ててくれた父母と安らかに眠る安寧の場所であったはずです。
しかし、現代のお墓はそうした思いが薄れ、墓の大きさや材質、山の上にあるのか下にあるのか、交通の便利が良いのか悪いのか、人目ばかりを気にする別荘やクルーザーなどと同等で、残念ながらステイタスの一部となってしまっています。
よく「先祖代々之墓」と言われますが、その歴史は、せいぜい明治以降に建立されたお墓がほとんどで、現在の継承者も、そこから数えて3代、4代目といったところでしょうか。
それまでは、庶民は皆、共同の墓地で皆仲良くボチボチやっていました。

安楽寺永代供養墓は「皆で一緒に土に還る」というコンセプトで、石塔の下に2mほどの穴が掘られ、そこに合同で納骨されます。
合同での埋葬を合祀(ごうし)と言いますが、皆でシェアするお墓は最近始まったブームではなく、元々庶民のお墓は合同墓だったのです。

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