「安楽寺だより第42号」の4面で「日蓮」について取り上げられていますが、真の仏教によって国を改革することに生涯を捧げたましたが、念仏宗や禅宗を強く批判したことで激しい衝突も起こりました。
(詳しくは安楽寺だよりをお読みいただければと思います)
世の中を良くしたいとの願いはどの宗派でも同じはずですが、はたしてどの宗派がお釈迦様の教えに一番近いのでしょうか?

そんな疑問は、既にお釈迦様が誕生したころにも起こっていたようで、仏教が語源となったことわざ「群盲象を評す(ぐんもうぞうをひょうす)」から読み解くことができます。

古代インドのコーサラ国首都の舎衛城(しゃえいじょう)での出来事です。
托鉢(たくはつ:食べ物などをお布施してもらう)に集まった、様々な宗派の僧侶たちが、ランチタイムまでに時間があるので講堂で雑談を始めます。
最初は深々とした挨拶で始まった歓談も、互いの宗派の教えの話題に及ぶと、激しい激論になりました。
次第に怒りを抑えきれず、どちらが真実の教えなのかを巡って、双方の罵(ののし)りあいに発展します。
それを見かねた仏陀が、鏡面王(きょうめんおう)の昔話を用い、僧侶たちを諭しました。


王は国中の目が見えない盲人たちをお城に集め、それぞれに1匹の像を触らせ問いました。
そして、盲人たちが言い争う中、王が言いました。

王様「像は、どのような生き物か申してみよ!」

足を触った盲人「タケヅツのような生き物でございます!」
鼻を触った盲人「ツナのような生き物でございます!」
尾を触った盲人「ホウキのような生き物でございます!」
腹を触った盲人「タイコのような生き物でございます!」
背を触った盲人「ツクエのような生き物でございます!」
耳を触った盲人「チリトリのような生き物でございます!」
牙を触った盲人「ツノのような生き物でございます!」

次の王様のセリフは書くまでもありません。

真実の仏教とは、このインドの像のようなものではないでしょうか?
私は本物のインド象に触れたことの無いので、評価するに値しませんが、日本に伝来した仏教は全部かき集めても象牙のかけら程度です。
そこから真実の仏の姿を見出すには、象のように大きな耳を持ち続ける必要がありそうです。