儒教と漢字の伝来

千字文天地玄黄 儒教・論語・朱子学
この記事は約3分で読めます。

安楽寺の長岡為麿は儒教を軸に独自の神道を広めたとされますが、そもそも日本の仏教は、その難しい教えを説くために儒教を例えに布教してきた歴史があり、仏教とは切っても切り離せない存在です。
よく「徳の高いお坊様」といわれますが、「徳」の概念こそが儒教の教えです。(徳については次回詳しく触れていきます)
法話でも分かりやすく説くために、儒教の孔子の教えが度々でてきますが、いつしかお釈迦様の言ったことと置き換わってしまっている節があります。
このブログでも論語について詳しく触れることで、お釈迦様の教えが何であるのかについて紐解いていきたいと思います。

ドラマの影響か、儒教というと韓国の宗教だと認識されている方が多いと思いますが、儒教はお釈迦様がお生まれになった頃の中国孔子を始祖とする哲学思想で、孔子と弟子とのやり取りを記録した「論語」が有名です。
日本へは、仏教伝来以前の第15代応神天皇(おうじんてんのう)の時代である4世紀、中国から朝鮮半島の百済(くだら:韓国の西側)を経て漢字と共に伝わりました。
伝えたのは王仁(わに)と呼ばれる渡来人で、漢人(中国人)であるとされていますが、その記録が「続日本記」に記されているので一部をご紹介します。

「①漢の高帝の後を鸞という。②鸞の後、王狗、転りて百済に至れり。③百済の久素王の時、聖朝、使を遣して、文人を徴し召きたまえり。④久素王、即ち狗が孫王仁を貢りき。是、文、武生らが祖なり」

①中国の漢の高帝(こうてい)の子孫で「鸞(らん)」と呼ばれる人がいました。
 ※高帝:正式には高皇帝(こうこうてい)呼ばれ、皇帝の亡きあとに功績を称えて贈る名。
②鸞の子孫の王狗(おうく)が百済にやって来ました。
③百済の久素王(くいすおう)の時代、王狗の孫である王仁(わに)が儒教の論語と漢字を持って日本へやって来ました。
④渡来後、日本に永住し、文氏、武生氏らの祖先となりました。

この時に伝わった漢字は1000文字で、四文字熟語×250セット書道のお手本とされ、最初の第一句は「天地玄黄(てんちげんこう)」です。
中国で天は北、地は中央、玄は玄武の黒、黄は土を意味しますが、北京から北東に1200kmほどの黒竜江省辺りは、冬はマイナス40度の極寒の地で雪が降らず、北には黒い土が見えますので、この言葉は旧満州国があった高句麗(こうくり:北朝鮮から北側でモンゴルとロシアにまたがるエリアにかつてあった国)の文字ではないかと考えます。
また、この鸞は親鸞の鸞の文字と同じですが、何かつながりがあるのか詳しく分かりませんが、今後詳しく調べていきたいと思います。

この時代の論語と漢字は、現代で言う軍事機密で、漏洩させることは厳罰に処せられる重要なものです。王仁が高句麗に滅ぼされた斉(せい:中国東部の山東省)出身であると言われていることから、これらトップシークレットの論語と漢字を持って日本へ亡命したのではと想像します。

写真は儒教の創始者である孔子を祀っている孔子廟(こうしびょう)。
この中に「論語」が納められています。

コメント