例えば、遠い田舎のお墓はそのままに、近くで手軽にお参りできるお墓を、もう1つ持つことは可能なのでしょうか?

お墓へ納骨するときに必ず「埋葬許可証」が必要になります。
これは、火葬許可証に火葬場からの認印が押されたもので、分骨を希望する場合は、これとは別に分骨証明書を交付してもらいます。
八事霊園安楽寺永代供養墓でも、「埋葬許可証」が無いと納骨できませんが、生前お申し込みの方を含めて、納骨しなければこの証明証は必要ありません。
八事霊園安楽寺永代供養墓は、亡くなられた方へ感謝すると共に、教えをいただき、故人とつながる場として建立されました。
遺骨は無くとも、先祖代々の墓として名前を刻み、手を合わせる場として利用される方もおられます。(私もそうですが)

そもそも、お釈迦様本人や日本での鎌倉時代までの宗祖は、遺骨の扱い方について何も定義していません。
魂は遺体から離れ別の世界に行くと考えられていますから、遺体は自然に還り、次の命の糧となる考え方です。

浄土真宗大谷派開祖 親鸞は次のように述べています。

「某親鸞 閉眼せば、賀茂河にいれて魚にあたうべし」

直訳すると、「自分が死んだら近くの賀茂川に流して魚のエサにでもしてくれ」という意味です。
魂はすでに極楽浄土へ行っているので、亡骸を見て悲しむのは、セミの抜け殻を見て悲しむことと同じです。
前回のブログ記事「お釈迦様の遺骨は象1頭分?」でも触れましたが、お釈迦様のご遺骨は最初から分骨です。
仮にお釈迦様の遺骨が8Kgであった場合、均等に8万もの寺で分骨すると、1つのお寺あたり0.1gで、耳かき1杯分にも満たない量になります。
このわずかなご遺骨1つ1つに魂が宿っといるかというと、そう言う訳ではなく、8万ものご遺骨は、1つの魂につながっていると考えるのが自然ではないかと思います。

骨=魂 ではない

お墓が2つあろうと、3つあろうと、故人に馳せる思いは1つで、お墓だけではなく、亡くなられた方が大切にしていた「モノ」「コト」も、1つの魂につながっているのではないでしょうか?