チベット仏教のマニ車とは?

チベット仏教

チベット仏教圏の寺院では、お経が納められた円筒形の筒をクルクルと回す「マニ車」が有名です。
この筒の中にはお経が1シリーズ毎納められていますが、1つ回すごとに1シリーズのお経を唱えたのと同じ後利益があるとされています。
チベット仏教はチベット密教とも言われますが、「身体」「言葉」「意識」が生命を構成していると考えています。
生きている間に悟りを得る即身成仏(そくしんじょうぶつ)を目的とし、「三密の行」と言われる修行をします。
三密といっても密閉・密集・密接のことではありません。

密教では次の3つを意味します。

身密(しんみつ):手で印を組み、仏や菩薩などとの誓いの表す(印鑑や手を合わせる起源?)
口密(くみつ):真言を唱える(お釈迦様の翻訳不能な言葉をマントラと称して発声?)
意密(いみつ):心で念ずる(言葉にできなくとも、教えの真意を心の中で会得する)

特にチベット仏教では、生まれ変わることを重視し、前世の行いが次の生まれ変わる先に大きく影響を及ぼすとの考えから、三密の行で罪を消し、身を清めることを大切に考えています。
マニ車は、このうち口密に相当しますが、お経が読めないチベットの方でも、お経を入れた筒を回すことで、唱えたことと同じ後利益を得られる仕組みが生み出されたのでしょう。
マニ車はチベットではマニコロと呼ばれています。
マニはサンスクリット語のチンタマニの略で、チンタは「思考:自分の智慧」、マニは「珠:先祖の智慧の集積」を意味します。
日本では如意宝珠(にょいほうじゅ)と訳されていますが、如意は、孫悟空が持っている如意棒のことです。本来は背中をかく道具ですが、伸ばせば天国から地獄を貫く長さと言われることから、「手が届かぬ先に、意のままに行きわたる智慧」を意味するのではないでしょうか。
コロはチベット語で車輪のことですが、台車の車輪もコロと言いますので、これが語源になっているのかも知れません。
密教はお釈迦様が亡くなり1000年ほど経ってインドで誕生しましたが、チベットに伝来後にインドでは途絶えてしまいました。
日本へは真言宗の弘法大師 空海が唐(中国)から日本へ持ち帰り、高野山へとつながっていきますが、四国や愛知県知多半島のお寺を回ることで、インドの聖地を巡礼と同等の後利益があることや、デパートの催事場でお寺の砂を踏むだけで、お遍路さんに行ったことと同じであるという風習も、このマニ車の考え方が発祥ではないでしょうか。
葬儀や法要でお寺にお経を読んでもらうことも、チベットでの習慣に照らし合わせれば理解も深まります。

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